【No.246 2019年12月28日】《 ミャンマー訪問記 》
12月21日から26日まで、公明党として初めてのミャンマー訪問団が派遣され、一昨日、無事に帰国しました。山口代表、浮島衆議院議員、魚住顧問と一緒に、私も国際委員長として同行しました。
ミャンマーは、気温が30度を超え日差しが強かったものの、季節は乾期で、現地の人からすると大変過ごしやすい時期でありました。
私は山口代表の命を受けて、バングラデシュ国境のラカイン州情勢など事前調査するために19日から現地入りしました。ラカインの問題というのは、2012年5月、ムスリム(いわゆる「ロヒンジャ」)とラカイン族仏教徒との間で住民間衝突が発生し、16年10月、17年8月の同州北部における連続襲撃事件とその後の政情不安定により、70万人以上のムスリムの避難民がバングラデシュ側に流出。避難民帰還・再定住環境の整備が喫緊の課題となっているもので、国際社会でも大きな関心が寄せられ、特に欧米メディアからはミャンマー政府や国軍に対して厳しい目が向けられているものです。
残念ながら、私の予定していたラカイン州訪問は、治安状況の問題で直前に取りやめを余儀なくされましたが、現地で活動する国連のユニセフ職員や日本のNGOスタッフから教育の課題やインフラ状況を確認することができました。特にユニセフの尽力もあり、ミャンマー政府が今年7月に成立させた「子ども権利法」について伺えたのは有益な情報でした。これはミャンマー国内で生まれたすべての子ども(国籍や宗教に関わらず)に出生登録が法的に可能になったもので、ある意味画期的なことです。いいニュースはあまり報道されないので、山口代表にも報告し、後述の要人との会談で引用していただきました。
また、中部の地方都市であるメッティーラで活動する医療NGO・AMDAのマイクロクレジット事業や保健プロジェクトも視察し、地域住民と懇談することで、農村部の生活状況などを肌で感じることができました。
21日からは、山口代表一行と合流し、アウン・サン・スー・チー国会最高顧問兼外相(以下、スー・チー国家顧問)、並びにミン・アミン・フライン国軍司令官、ティ・クン・ミャ連邦議会議長、タウン・トゥン投資対外経済関係大臣といった要人との会談を重ねました。また日本のODA案件として、浄水場、地方空港、初等教育の教科書改訂事業、日系企業などが集積するティラワ経済特区を視察。外国語大学で日本語を学ぶ学生との懇談も行いました。訪問都市も、ヤンゴンを起点に、首都ネーピードー、マンダレー、バガンを飛行機で日帰り移動。訪問した各都市では、旧日本軍慰霊碑で慰霊と献花を行い、平和への誓いを新たにしました。
今回の訪問は、近年、スー・チー国家最高顧問や国軍司令官が来日した折に、山口代表にミャンマー訪問を要請されたことから実現にいたりました。
要人との会見では、山口代表から次のことを強調しました。まず、ミャンマーが開かれた民主国家として、安定し、発展していくことを心から願っていること、公明党としても、日本の与党としてミャンマーの取組をしっかり支えていきたいということです。
次に、ラカイン州情勢について、人権侵害疑惑に対する適切な措置、避難民帰還のための環境整備が極めて重要であり、政府や国軍の引き続きの取組を期待しているということです。
今回の要人との会見は、連日、地元ミャンマーの新聞の1面などに掲載され、今回の公明党訪問団に対する注目の高さが表れていました。
丸山・駐ミャンマー日本大使によると、公明党訪問団の最大の成果は2点。1つは、ラカイン州の状況をめぐって、国際司法裁判所(ICJ)にスー・チー国家顧問が自ら対応されたことに敬意を表した最初の外国政治家であったということ。日本の与党党首が、ラカイン州の状況改善のために、日本はミャンマーと共に考え、ミャンマー自身の取組を後押していく旨の強いメッセージを発信したことです。
2つ目に、独立調査団の報告書が近く提出されるが、同報告書をミャンマー政府および国軍が真摯に受け止め、その勧告を踏まえて法的措置を速やかに取ることを明確に訴えたこと。それに対して、スー・チー国家顧問やフライン国軍司令官が法的措置を取る旨の改めての発言や、それを前提にしたやり取りがなされたということです。
スー・チー国家顧問との会談は午後3時から30分間、ご自宅で行われました。軍事政権下で長く自宅軟禁が続きましたが、まさにその場所です。道路に面した門から車で入り、数十メートル進んだところに、白を基調とした2階建ての洋風の建物が建っていました。そして、スー・チー国家顧問が山口代表を出迎えるため玄関先に姿を現しました。その時見せた柔和な表情は忘れられません。二人の様子を撮るため、私は急いでカメラのシャッターを切りました。
応接室でごく限られた人数での会談。大きな窓から差し込む陽光。部屋には、ご尊父の故アウン・サン将軍の大きな肖像画が掲げられていました。会談中、スー・チー国家顧問の発言を聞き漏らすまいと通訳の言葉を必死にメモを取り、表情の変化も注視しました。国家顧問が、同席していた丸山大使と言葉を交わす度に、笑顔になったのは、大使との信頼関係が強いことの証と感じました。「丸山大使は半分ミャンマー人です」と笑っておられましたが、丸山大使はミャンマー語を駆使して、本当に現地に溶け込んで、どこに行ってもミャンマー人の信頼を集めている日本の誇る外交官でした。
スー・チー国家顧問からは、日本のJICAによる教科書改善プロジェクトで大きく初等教育が変わったこと、日本の補正予算に国連を通じた避難民帰還の環境整備予算が盛り込まれたことにも感謝の言葉がありました。帰り際には、私が京都大学でアジアやアフリカの農村開発を勉強していたことを紹介すると、「京都は素晴らしいところです」と喜ばれました。スー・チー国家顧問は、かつて京都大学東南アジア研究センターで研究生活をされていました。
帰国後、すぐに訪問団一行でミン・トゥ・駐日ミャンマー大使を表敬し、今回の訪問の報告をしました。そして山口代表は安倍総理にも直接会い、日本とミャンマーの関係強化で大きな成果をあげることができたことを報告。安倍総理はラカイン州の情勢を念頭に「このタイミングで公明党代表に訪問してもらって大変良かった」と述べられました。
(谷あい)