【No.183 2015年10月7日】
《 中東難民キャンプから帰国 ─ 人道支援をさらに 》
9月28日から10月2日までの間、公明党の国会議員2名で、中東のヨルダン、イスラエル、パレスチナを訪れました。以下は、パレスチナのガザ地区訪問の手記です。長文ですが、お送りいたします。
国会が終わった翌日、私は中東の難民キャンプにいた。パレスチナのガザ地区は約360平方キロメートル。岡山県倉敷市ほどの面積で人口170万人。多くはパレスチナ難民だ。この5年間でイスラエルとの紛争が3回。度重なる紛争でインフラ、経済は疲弊。イスラエルとの国境を越えるのは厳しく制限され、現地の若者にとって、ガザの外に出ることは夢に近い。
国境の壁ひとつ隔て、イスラエルとガザの貧富の差は歴然としている。長い紛争により、ガザの子どもはイスラエルの子どもと会って話したことがない。逆もまた同様である。心の距離が遠く離れてしまっていることに胸を痛めた。
昨年、イスラエルと停戦合意。しかし、私たちが訪問した前日の夜にガザからロケット弾が発射され、それに対する報復措置もあった。ガザの中では、国連の防弾車に乗り込んでの移動だ。
日本は国連パレスチナ難民救済事業機構(UNRWA)などを通じ、ガザ復興に対して多大な貢献をしている。ガザ住民は驚くほどの親日だ。訪問した小学校では、毎年3月11日に東日本大震災からの復興を願って児童たちが凧揚げをしている。困難な状況下にあるはずの子どもたちが、遠い日本のことを他人事ではなく、我が事として祈ってくれていることに最大の感謝を伝えた。
ガザ問題が深刻化した2006年以降、政治家がガザに入域できたのは極めて異例であり、奇跡的であった。治安の問題と政治的な問題があり、各国政治家が試みるものの許可が下りないのだ。
では、なぜ公明党の国会議員がガザに入れたのか。入域の権限を持つイスラエルとパレスチナ双方、また日本大使館、国連機関が次のように明言してくれた。我々の訪問がパレスチナ難民支援のための人道目的であること、中立的な日本の政治家であること、中東各国や国連機関の信頼が厚い公明党の議員であることからだ。
停戦して1年。ガザの過激化を防ぎ、安定と復興を図るというのがイスラエル、パレスチナを含む国際社会の共通の課題だ。今回、政治家として複雑な中東問題の最前線を歩くことができた意義は、国際的にも大きいと確信する。
最後に、難民にとって一番辛いことは何か。それは、医療や食料が行き届かないことではない。希望を失い、尊厳を失うことだ。そういう状況をつくらないために、どうすればよいのか。そして、難民そのものをなくすためにはどうすればよいのか。
紛争により崩れ落ちたアパートに、中東の暑い日差しが容赦なく照りつける。そこには、学校帰りの子どもたちの無邪気な笑顔と瞳の美しさがあった。私たちは、ガザ復興の鍵は教育だと確信した。そして、受けた教育を活かす機会を創ること。そのために一歩一歩、取り組んでいく決意だ。
(谷あい)