【No.34 2010年6月5日】
《 1分で語る実績 原爆被爆者支援編 》
こんにちは。谷合正明です。
今朝、平和原点の地・広島の平和記念公園を訪れています。
昨日、新首相が誕生し、参院選挙をにらんだ国民不在の国会運営がなされておりますが、本質が変わらなければ何も変わらない!
こんな時だからこそ、自分の政治家としての原点(平和)に立ち返ることが大切だと痛感しています。
私は党原爆被爆者対策委員会の委員長として、これまで原爆症認定基準の抜本改正(08年)、そして議員立法による在外被爆者支援の法律(08年)、原爆症認定集団訴訟の一括解決法(09年)の成立をさせていただきました。1分では語れませんが(笑)、簡単に経緯を書き記します。
今、広島、長崎で原爆の被害にあわれた方は20万人以上、平均年齢は75歳を超えています。
原爆が原因でがんや白血病などの疾患にかかったと、国が認定し救済する制度を原爆症認定制度といいます。
以前の原爆症認定基準は大変厳しく、認定申請してもほとんどの被爆者は却下されておりました。そこで、国を相手取った集団訴訟が起き、国が敗訴を続けていました。
また、海外に移った被爆者の方々は、被爆者健康手帳を申請するのにわざわざ日本に渡航しなければならず、在外被爆者には救済が届かない実態がありました。
そこで08年に、厚生労働省の改正案ではなく、私たち与党(当時)の提言が政治主導で採用され、原爆症認定基準が抜本的に改正。さらに、在外被爆者の被爆者手帳の海外申請を可能とする議員立法も成立しました。
法成立の時には、ブラジルからわざわざ在外被爆者代表の方が国会にお越しいただき、「悲願が実現し、感無量です」と喜んでいただいたことが忘れられません。
政権交代後、原爆症認定集団訴訟の一括解決の課題が浮上しました。政権交代前に解決すると約束していたものが、新政権で宙に浮いていたのです。
被爆者団体から不安の声を聞き、私はすぐに自民党・民主党の担当者に、原告救済の議員立法の実現を働きかけました。そして、被爆者救済のための基金を作る議員立法が、昨年11月に全会一致で成立したのです。
被爆者の皆様とともに、被爆者救済の法律をつくることができたことは、1期6年の議員生活の中でもとりわけ感慨深いものがあります。
初めて広島を訪れ、被爆者の方から体験を聞いたのは、中学3年生の時の修学旅行でした。今、広島に縁させていただいた議員として、これからも原爆被爆者支援、核廃絶に向けて、全力で取り組んでまいります。
(谷あい正明)