2021年9月15日 7面
かつて、全国各地に普及した琉球畳の原材料である「七島藺」は現在、国内では大分県国東市のみで生産されている。一般の畳に使われるイ草と比べ、耐久性や耐火性に優れているが、生産の機械化が難しく、産地は衰退の一途をたどってきた。それでも七島藺を作り続け、伝統産業を守る生産者らを追った。
「シャッ、シャッ」。8月末の夕暮れ、静かな田園風景が広がる国東市内の田んぼでは、七島藺の刈り取り作業が黙々と行われていた。
密集して生えるため収穫は手刈り。暑さで変色してしまわないよう、早朝か夕暮れ以降に済ませる。作業に汗を流していた諸冨康弘さん(59)は、大学の職員を辞めて就農した。「良いものだから残していきたい」
七島藺は、江戸時代に琉球王国から豊後地域にもたらされたと伝えられる。丈夫で火に強く、囲炉裏がある東北の民家や柔道用の畳にも使用され全国に普及した。
1957年ごろには、大分県内で年間550万枚の畳表を出荷し、全国一の生産量を誇った。しかし、植え込みや刈り取り、製織の機械化が難しく、一般的な畳表は、時代とともにイ草に取って代えられた。現在、国内で七島藺を栽培しているのは国東市のみ。今年4月1日現在で農家は7軒、畳表は年間2000枚程度の生産にとどまっている。
■機能や価値に再び脚光
七島藺で作る琉球畳が今、再び注目を集めている。2013年、国東半島宇佐地域が国連食糧農業機関(FAO)の「世界農業遺産」に認定。16年には「くにさき七島藺表」が地理的表示(GI)保護制度に登録された。ホテルの和室への使用など、需要は増加傾向にあるが、生産が追い付いていない状況だ。「くにさき七島藺振興会」の松原正監事は「発展するか衰退していくか。今、七島藺は転換期にある」と話す。
畳表だけでなく、工芸品にも活路を見いだそうとしているのは、工芸作家の岩切千佳さん。アクセサリーやオブジェなど、七島藺を使った新たな商品を顧客の注文に合わせて作っている。岩切さんは全国各地でワークショップを開催し、精力的に魅力を発信。セレクトショップなどからも注文の依頼を受けるという。
コロナ禍でイベントの中止が相次ぎ、アピールする場が減少しているが、「七島藺の価値と魅力を多くの人に知ってもらいたい」と岩切さんの熱意は冷めない。
■魅力発信、生産支援へ公明奮闘/再建する首里城(沖縄)での活用めざす
公明党は、七島藺の伝統産業を守ろうと尽力してきた。秋野公造参院議員と戸高賢史・大分県議が18年、国東市の三河明史市長と共に、農林水産省に谷合正明農林水産副大臣(当時、公明党)を訪ね、生産支援に関して要望。また、琉球で生まれ大分で育った七島藺表を“里帰り”させ、さらに魅力を高めようと、再建予定の首里城(沖縄)で使用される畳の原材料としての活用をめざし、関係者との意見交換や議会質問を重ねている。
このほど、国東市を訪れた金城泰邦党市民活動局次長は、三河市長や生産者と懇談。戸高、吉村哲彦の両県議らが同行した。
金城氏は「七島藺を通じて大分と沖縄の新たな交流を築いていきたい」と、首里城への活用に向け意欲を示していた。