谷合正明参議院議員は6月29日、岡山市内で開かれた平成23年度岡山市戦没者追悼式に出席し、追悼の言葉を述べました。以下、全文を掲載します。
(岡山事務所)
先の大戦ならびに岡山空襲で犠牲となったすべての方に、哀悼の誠を捧げます。
昭和20年6月29日、岡山市中心部において、午前2時43分から午前4時7分まで1時間24分もの間、138機のB29が焼夷弾を投下し、少なくとも1737人の方が犠牲となり、当時の市街地の約63%が消失しました。
現在、開催中の岡山戦災の記録と写真展に足を運びました。北区奉還町で空襲に遭った当時13歳の女性の体験談は胸に迫るものがあります。
1階で両親、2階の蚊帳の中で私と姉と弟と妹達2人が寝ていた。下から母が「空襲じゃあ!」と叫び、びっくりして飛び起きた。南の戸を開けたら岡山駅が真っ赤に燃えていた。私は弟の手を引き西に向かった。大通りに出た後、武本建材店の前で意識を失い、道に倒れていた。
母は皆より少し遅れていたので、怪我はなく、「慶ちゃん(妹11歳)が死んだ」と言った。お尻の肉が焼夷弾で半分飛んで、顔は白くきれいなのに即死だった。弟(6歳)は全身火傷で真っ黒だった。弟が「お水、お水」と言うが、近くにないから、母が自分のつばを出して一滴飲ませると死んだ。姉(14歳)は全身火傷、父は心臓の横に焼夷弾の破片が突き刺さっていた。
父は「わしが死んだらお前(母)が困る」と言いながら死んだ。その時に姉はまだ意識があって「頑張って生きような」と言うとうなずいていたが、その後死んだ。
ごく普通の6人家族のうち4人が犠牲となりました。このようにして少なくとも1737人の何の罪もない庶民の命を奪っていった戦争に怒りと憎しみでいっぱいです。
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」とはユネスコの平和憲章の冒頭の一節です。
日本国憲法第13条に定められるところの「幸福追求権」並びに第25条に定められているところの「生存権」を念頭に置き、一人ひとりの人間に焦点を当てた政治の復権が今求められています。
岡山空襲を風化させないとのご遺族の皆様、岡山市、市議会、関係者のご尽力に敬意を表しつつ、私たち世代が、これからも戦争のない世界の実現に向け、不断の努力を重ねていくとともに、東日本大震災という戦後2度目ともいうべき国難を必ずや乗り越えていくことをみたまにお誓いさせていただきます。