2010年1月12日夕方(現地時間)、ハイチの首都ポルトープランスをマグニチュード7をこえる地震が襲った。1ヶ月後の2月12日、私は公明党調査団の団長としてポルトープランスとレオガンを訪れた。死者推定23万人の未曾有の災害である。
ドミニカとハイチを結ぶ民間航空機。再開されたばかり。これに乗ってハイチ入りをする。
被災民のキャンプ。
日赤の診療所の隣にあるキャンプ。人口1万5千人。ここに当初はトイレが1つしかなかった。
山の急斜面に立てられた家が多く、土砂とともに流された。
非難する場所もなく、倒壊した家で生活する住民。
フランス語とクレオール語が公用語だが、HELPの文字が至るところに発見された。
私が泊まった私邸。蚊帳を使っているが、たくさん蚊にさされた。
宿泊した家の前後の家はこの惨状。
朝早く教会に行く人々。1ヶ月後のこの日は追悼式であった。
ミサに向かう人々。
商業施設も大きな被害を受けた。
数年前に太陽光発電を導入した市内の信号。
仮設の教会で祈りをささげる。
自衛隊PKO部隊の宿営地で。
350人がここで暮らすことになる。
市民の足のバスも再開しつつある。
(谷あい)
ハイチ地震1ヶ月後の様子 ①