本日は午後から、公明党本部で全国県代表者会議がありました。帰路、新幹線の待ち時間を利用して、東京駅のステーションギャラリーで開催されている「生誕100年・前川國男建築展」に足を運んでみました。前川國男という建築家、恥ずかしながら、まったく知らなかったのですが、日本代表する建築家であります。
東京都美術館、国立国会図書館、学習院大学(一部現存せず)、紀伊国屋書店、東京海上ビル、京都会館などの建築は前川氏によるものです。さらに驚くことに、岡山県庁(1957年)、岡山県総合文化センター(1962年)、岡山美術館(現・林原美術館)(1963年)も同氏によるものだと知り、大変驚きました。
普段何気に見ている建築物も、建築家やその人の建築に対する考え方などが分かると、また一味違う景色になりますね。
前川氏曰く、「敗戦の日本には資材も金も足りないことは分かっている。それだからといって壕舎生活や同居生活や身動きならぬ6坪住宅でどうして我々は一人前の生産ができようか? どうして日本が再建できようか? (中略) われわれはまだ机上の辻褄を合わせることばかり考える前に、必死の知恵をしぼって生活の確立を考えるべきだ。普通の住宅6坪を建てる資材で10坪を建てる方法はないか? 1坪7000円かかるものが5000円ですむ方法はないか?こうした努力こそ、日本の建築家の社会的責任であり、日本の生産者の国民的義務である。」(1947年)
庶民の手に届く住居を供給せんとする、建築家の熱意が伝わってきます。しかし、これは自分の金のために偽装事件を起こした面々とは180度違うことは言うまでもありません。
そして、さらに曰く、「近代建築は人間の建築である。その故にこそ近代建築を可能ならしめるものは人間への限りない愛着を本質とする『在野の精神』に対する深い理解とたくましい自信とでなければならない。」(1947年)
人間への愛着を根本的に忘れたところに、耐震偽装や東横インの問題が起きた、と私は考えます。
この建築家が今生きておられれば、昨今の事件について激怒されたに違いありません。建築技術は進歩しましたが、モラルは低下しました。モラルの伴わない技術は破壊そのものです。政治は、人間の尊厳を軽視した言動を、心して監視していく責任があります。
(谷あい)
【エッセー】建築家の生き方—-100年で何が進歩したのか?