○谷合正明君 私は、外交ということで大使、特命全権大使の在り方について関心を持っております。
参考人、どの参考人の方でもよろしいんですが、お答えいただければと思うんですが。外交というよりも、システムとして外交を構築していくという話もありますが、要はやはり外交は人が左右するという側面もございます。
その外交の主宰者となる者は、例えば外交官でありますとか、まあ国会議員もそうでありましょうが、今であればNGOもありましょうが、一つ星となるような、百何十か国に日本は大使館を持っておりまして、そこに特命全権大使というのがおります。しかしながら、現状としては、相手国の言葉が分からないであるとか、そういう大使がいるだとか、あるいは開発途上国なんかではODAが一つの外交のツール、武器になっておりますけれども、そのODAも、ただ単に要請主義ということで右から左へ通しているだけの現実もあるんじゃないかなと。大使がすべて無償資金だとか円借款の案件を見るわけでありますから、そういう意味では大使というのは非常に大きな力を持っていると思っております。
また、今回の外務大臣が施政演説の中で、日本の外交基軸として四つ目の基軸、自由と繁栄の弧ということを発表されました。これは中央アジアの諸国を念頭に入れられていると思うんですが、あそこは旧ソ連ということでなかなか、新しい国が誕生して、そこで専門家が少ないという現実もございます。実際に大使となり得る人材がいないんではないかと。
あるいは、アフリカに今大使館を増やしていると。これは中国とのいわゆる安保理の理事国入りめぐっての教訓から、反省から大使館を増やしたんでしょうけれども、増やしたからといって、実際大使館のある国でも票がひっくり返っている国もあるわけでありますから、そういう意味では大使は一体何をしているのかなという思いも率直にあるわけであります。
そういう意味で、民間出身であれ、外務省出身であれ、能力ある大使がもちろん大使になるべきであると思っておるんですが、その大使をつくるのにはやはりコストと時間が非常に掛かると思います。それはやっぱり国家百年とまではいきませんが、国家のいわゆる計としてしっかりと長期的なビジョンを持って育成していかなければならないと思っております。
そもそも、大使はどうあるべきなのかというところも議論になると思います。そのどうあるべきなのか、役割といった面、あるいはどう育成していくのか、こういったところに御意見持っていらっしゃる参考人がいらっしゃれば、どなたでも結構なんですが、お答えいただければと思います。
○参考人(水口章君) じゃ、身近にいた人間として少しお話をさせていただきます。
どういう形で育成したらいいかというところからまず御紹介したいのですけれども、現状において、語学ができるからその大使がいいという形ではないと思います。語学ができることによって、先ほども御紹介があったように、その国に対する偏見や思い入れが入ってしまうことがあります。大事なことは、やはり客観的に情勢を見れる、分析をするということがまず第一点。
それを取るための手段として何があるかということですけれど、今、日本の状況からいうと、先ほども紹介があったように、人との触れ合いによって情報を取るという手段しかないです。これは、ある意味でうそを言うかもしれません。それをちゃんとした形で判断できる状況というのは、公開されていた情報をベースにしっかりと自分が、この人はうそを言っているなとか、情報を過剰にしゃべっているなということを判断できる人間にならなければいけないということですね。
じゃ、そういうようなことができる外務省職員というのを今何人挙げられますかという話になると、これは外務省だけではなくて、日本全体として見たら非常に限られた人物しかいません。したがって、それは、外務省の大使をどう育てるかということではなくて、日本の今後の国家の在り方としてどのように国際情勢を分析できる人間たちを育てるかということになります。人事院のもちろんその在り方もあるわけですけれど、先ほど申し上げた教育の問題もあると思います。
〔理事三浦一水君退席、会長着席〕
情報というものは、何かすごくインテリジェンスの話になると非常に遠い社会の話、どこかの組織、CIAの組織をすぐ浮かべる方がいますけれど、そうではないんですね。企業においても、それから我々が例えば大学院に行こうとか大学に進学しようといったときの意思決定プロセスは全く同じです。ですから、逆に言うと、問題を解く力というものをつくる。そして、逆にオールジャパンで、オールジャパンでそのポストを募集するということが大事だと思います。
ですから、危機に当たって、今私は大変な危機に日本があると思います。安全保障の問題にしても、先ほど御紹介があった環境問題においても、エネルギー問題においてもいろんな問題を抱えています。危機においてベストな体制をつくるというのは官僚社会からではないと思います。すべての分野からそのポストを募集し、そこにちゃんとした方、分析能力がある方を配属するような人事体制をつくらない限り、今の縦割りの官僚体制は破れませんし、日本の国際情勢に関する情報は取れないと思います。
○参考人(橋爪大三郎君) 特命全権大使のことについて、少しだけ申し述べます。
日本の外交史で非常に残念だなあと思うのは対米開戦の宣戦布告通知の遅れということなんですが、前日に、書記官が南米に転出するというので大使館を挙げてパーティーをやり、それで寝込んでしまって翌日に電報が来たという有名な話がございます。まず、こういう状況下で大使館を挙げてパーティーなどやってはいけないわけですね。次にもっと大きな問題は、電文が入ってきたときに、内容は分かっているわけであれば翻訳する必要があったのかどうか。特命全権大使というのは国家を代表しているわけですから、国務長官に会いに行って我が国は開戦すると言えば、アメリカからだまし討ちキャンペーンをあんなに張られるということはなかったのではないかと、こういう主張を読んだことがあります。私は、外交慣例には通じておりませんが、多分そうなんだろうと思います。
その上で感じることは、例えばイスラム諸国の何とかの大使のパーティーなんていうのに行きますと、イスラムの大使がもう何十人とおられていろいろ歓談されているんですが、その後、自由討論になりましたときに、皆さん学位をお持ちです。例えば、ケンブリッジとかオックスフォードとかケネディ行政学院とか、そういうところの同級生だったりなんかして、国際関係論とか何だとかという基礎知識や、外交プロトコルはもちろんですけれども、認識枠組みが一致しています。そして、アラビア語で話しているけれども、ちょっと切り替わって英語になっても全く問題がないと。そういうコミュニティーの一員だけど大使をやっているという感覚があるんですね。
我が国の大使というのは、ほとんど学位をお持ちでないんです。外交試験で、下手をすると大学三年で名誉の中退かなんかしちゃって行くものですから、修士号、博士号、大学院の経歴が一切おありにならない。そういうコミュニティーの一員という感覚じゃなくて外務省職員なんですね。これで外交官ができるのかなと思います。むしろ、そういう別途のキャリアの、国際的な教養、常識のある方を育てていくということも国策のために大事ではないかというふうに、お話を聞いて伺いました。
○参考人(半藤一利君) 一言だけですが、ここに、これお手元にあるんでしょうか。これ、私、国連次席大使の方と対談をしておるんですけど、この方の話を聞いていて、これに出ていない話なんですが。というのは、日本の外交官は、一つは忙し過ぎるというのは、まあだれでも言っていることなんですが、それよりも何よりも、何か非常に、本省の方にだけ目を配っていて、本省から怒られたり、何か問題とかそういうのがあったりするのだけを気にしていて、誠に裁量が、もう自分の裁量で何か物を運ぶということができない人たちばっかりであると、これを非常に強調されていました。ですから、もう少し緩やかに大使の、自分たちの裁量で何かができるような形にしておかないと、永遠にこれはもう日本は、水口先生のおっしゃる情報的にはもう何にも取れないと。もう本当に向こうの人とお付き合いもできないから、これは本当に何にも取れないということを盛んに言っておられました。
それからもう一つ、ちょっと違う話なんですが、水口先生が先ほどおっしゃった話で、情報というのは幾ら集めてもこれは全然ナンセンスだというのが戦前の日本なんですね。これお話がありましたけれども、中国に対する情報はもう山ほど参謀本部に集まったそうです。もう本当に中国の、だが、だれも読んだ者がいないと。だれも読んだ者がいないで、ただ集めただけだと。ただ、集めてしまうと、もうそれで満足してしまって、もう分かったという形になりまして、日本の参謀本部の人たちもそれから外務省の人たちにも中国通とかソ連通とかたくさんいたんですが、この人たちは全く何も知らないと。これがもう全然、この戦前日本の外務官僚及び情報に関する日本人のだらしなさといいますか至らなさであると。これをよっぽど直さないと、情報に対する日本人の関心といいますか、情報の分析力というものをきちっとつくらないことには永遠にこの問題は解決しないということを、実はこれは昔の参謀本部の人に取材をしたときに彼が盛んに言っておりました。
ですから、要するに、私たちは情報というものが何であるかということに関して勉強が全くしてないと。ですから情報というのは何だということをもう一遍最初からやり直さなければ駄目だと。つまりノイズと情報、つまり雑音と情報というのが全然違うんだということすら分からないということをしきりに言っておりました。
ですから、これからの日本はその点においてはもう少し勉強をし直さなきゃいけないということを言っておりましたので、ちょっと付け加えておきます。
○参考人(水口章君) いいでしょうか。一点だけ。
今御紹介があったように、日本の社会において、情報という言葉と情報資料という言葉の区分けができておりません。インフォメーションという言い方はあくまでも情報資料です。もうそれは垂れ流しの状態です。それをちゃんとした形で付加価値を付けるということが情報です。その付加価値が付かない状態で物事を判断しているというのが今の日本の在り方です。メディアが特にそうですね。自分の裏情報もちゃんと取れず、そのものをしゃべっているという状態になっている。で、そのインフォメーションを国民が理解し、あの指導者はひどいという批判をするというような構図になっています。
ですから、評価をするに当たって、その行動やその現象を評価するに当たって、しっかりとした情報をつかむということがどれだけ大切かということが日本社会に分かっていないということが一点あると思います。この点だけは、何かの折にも是非御紹介していただければと思います。
○会長(田中直紀君) ありがとうございました。